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義父が最後に教えてくれたこと

1年近く入院していた義父。
1年間、義母は病院に通い
遠方からもなんども実子が見舞いや付き添いに通い
最後は全員に見守られて
ほんとによく頑張ったよ、お父さん、
と言われながら
旅立った。
大変ながらも
こんなにも幸せな最後はあまりないのではと思うくらい
家族ともども
やりきった感に包まれてた。

けっこう自分が若いうちに
まだ若いさなかの父や親戚を突然なくした経験がなんどもあって 
悲しさやさみしさにゆっくり浸れない遺族の忙しすぎる通夜や葬儀の
来客対応のバタバタを私は知ってるので
少しでも義母たちをわずらわせないように
自分と東京から飛んでくる息子達(孫)についてはなんの心配もいらないように
すぐ駅前にホテルをとっといた。

数日前のニュースで
1年後の閉館が決まった、黒崎の井筒屋。

 

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こじんまりした家族葬に決まったので
すべて葬儀屋と直系の遺族4人におまかせすればいい状況になり
自分は通夜までなにもやることもなく
やや拍子抜けした感じで(急いで黒エプロンを富山の大和で買ってからかけつけただけに)
井筒屋とも最後のお別れしとこか

いつも立ち寄る7階のごぼう天うどん(480円)でひとり昼食。
 

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安定のおいしさ。

結局こういう葬関係のことって
自分の経験をもとに考えてる部分があって
私は
参列は北海道でもあったけど
遺族側としては富山県関係での身内の葬儀経験しかなかったので
近所だの会社関係だの
顔も知らない人がうわーっとやってきては遺族としてお礼を言い
裏方としてお茶をだしたり
食事の準備を気にかけたり
身内はまぁとにかく忙しい、というイメージしかなかったけど
家族葬を専門に、全国にたくさん会館をもつ葬儀屋におまかせすると
実に手際よく
それも遺族にちゃんと寄り添いながら
飲み物から食事からすべて無理なく安心しておまかせできて
ひと昔前の
いかにもな暗い印象の祭壇ではなく
洋花もとりいれた明るい雰囲気に仕上げてくれ
写真も
いかにも不自然な喪服合成写真や白黒じゃなく 
背景も明るくきれいな色合いで
額も選択肢がいろいろあり
ほんとうに遺族が納得いく選択をできたカタチとなって
来客の範囲も広くしなかったおかげで
通夜も葬儀も初七日法要も
実にほのぼのと限られた身内だけのおだやかな空気感で
私は正直驚いたけど
こういうのが正しい進め方とサイズ感だなぁと感動すらおぼえた。身内はいっさいエプロンの出番すらなかった。
こういうのを知ると
自分がこれまで経験してきたバタバタの通夜と葬儀
あれはなんだったんだ、とすら思った。

だって
私は正直
自分の父の葬儀のときのあれこれをまったく覚えていない。
祭壇がどんなだったかも記憶すらない。うすいイメージとしては
白、黄色、黒、グレー。菊、カサブランカリリー、やたら煙い線香。
唯一はっきり覚えているのは
身長の大きな父なのに
葬儀屋がもってきた棺が数センチ丈が小さくて
なんか無理やり足を押し込んでて
なんてことを...と思いながらながめてたこと。それだけだ。
突然の悲しみにくれすぎてた、まだ22歳だったこともあるけれど
当時の父の立場を優先して
とにかくもう関係者全体に知らせてしまったことで
数百名規模の会場になり
こんなときにしか顔を見ることもないような
家族はひごろたいして関わりのないおじさんたちの大量の出入りが
会場だけでなくその後自宅の方にも
何日間も続いて
精神的に参って疲れ切った、ただそういう記憶のみ。
参りにきてくれるのはありがたいことではあるけれど
実際、葬儀と火葬が終わった時点で遺族は心底疲れ切ってる。
直後は家にたずねるのは少し遠慮して
しばらく遺族だけで休ませてあげるべきだと思ってる。 
そこは自分の経験からだ。
案の定
すべて終わったあと遺骨とともに家に移動した義母や家族達は
はやめに寝たようだ。
そりゃそうよ、病院にいたころからほとんど寝てなかったんだからね...
 

葬儀の朝
ホテルのテレビでは
第100回の記念すべき高校野球の開会式。 

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葬儀はこの日だったなぁと
これならぜったい忘れない。
お義父さん、さすが〜。 

火葬場についても北九州は
まるでホテルのような、緑多い場所の明るい環境で 
悲壮感が少しやわらぐように空間が整えられてて
そういえば
うちの父の時は
鉄みたいな愛想もない『ガッチャン!』と閉まる扉をしめられた記憶があって
あの空間もまったく色のない究極の冷たさを感じたから
このちがいはなんだ??とすら思った。

大きくなってからは初めて出席した葬儀ということで
20代の息子たちは
身支度からはじまって
流れやお参りの仕方においても
今回かなり勉強になったと思う。
おじいちゃんが最後にいろいろ教えてくれた。
私たちにとっても
葬は、近い遺族と日常から濃い関わりがあった人限定の
数十名規模くらいがちょうどいい、
見栄や体裁を気にしてあちこちに連絡してバタバタお茶だしたり
自分の力以上のことを準備して無理するより
じっくり座って本人を見て語りかけてられるくらいのゆとりの数日間にするべきだと
教えてもらえた。

葬儀の朝、富山の母にこじんまりの状況を電話で伝えたら
『あたしのときも、そんながいいわ〜。そんながにしてね。』と言われた。
そのときがいつかきたら
できることなら
本人の希望ということでそうしてあげたいし、
娘としてもそうしたい、と思った。
 

 


 

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by yukari  at 09:52
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