癒しの時間
11月に入り
今日やっと
扇風機を片付けようという気になって
仕事から帰ってから
拭き掃除をしました。
びっくりするくらい
羽根がほこりまみれだった。
この半年、ほんと頑張ってくれたわ〜。
午後。
BSで岩合さんの世界ネコ歩きと
空港ピアノの再放送を観る時間。
癒しのひととき。
このお姉さんは
内戦が続く国出身で
今はよその国で大学生をしてる。
歌いながらピアノを弾いてた。
通りがかって
カバンを置いて
ピアノが空港に置かれてて
弾きたい人、好きに弾いていいよ、のシチュエーションで
すぐこうして
さらっと弾く人たちの多いこと!
それもちゃんとした演奏。誰もが。
独学でこんなに上手に。
この人も
独学でこんなに素敵に弾けるの?という演奏で
こんな人とか
中学生とか
とにかく
人目を恥ずかしがることとかなく
通りがかりに
ちょっと座って
さらっと
さら〜っと
弾く。
ただそれだけの番組なのに
すごく惹かれる番組。
その人となりも字幕で知ると
いろんな状況の、いろんな国の人がいるんだなぁ〜とあらためて思う。
ふと蘇る。
この感覚は
そういえばアメリカにいたときには持ってた感覚。
いろんな国出身の
いろんな境遇の
いろんな肌の色の
いろんな経済状況や価値観の人がいて当然だった。
人目をいちいち気にすることなく
自分の個性や主張を発表して、そしてそれを周りの人たちはにこにこ見守り
発表が終われば拍手。
アメリカにいたときは自分も、恥ずかしいとか人目を気にすることもなく
単なる日本人としていろいろやりたいようにやって、それを近所の人も喜んでくれて自信につながってた。
だけど
帰国してから
最初はアメリカ暮らしのなごりのまま、自分なりにはっきり主張もしながら活動してたものの
どうもそれだと、日本では
まわりからあまりよく思われない場合があるというか、やたら目立つようだとうっすら気づき
あたりさわりなく行動するほうが日本で暮らす場合は無難で楽なようだ…と感じはじめ
それ以降、この16年間、
”いかにも日本人” な、
極力めだたないように、主張薄めに、時には主張はあきらめ、無難に行動する人になってしまったなぁ。
もともと主張薄めの日本人が、アメリカ暮らしでしっかり主張することの大事さを知り、ついに主張できるようになったのに、
そしてまた日本に戻ればたちまち主張薄めの日本人に戻らざるを得ないって
これ
やっぱり
国の雰囲気が人をそうしてしまうんだろうなぁ。
こないだ中止が決まった英語の民間のテスト導入についても
議員の言葉尻をとっつかまえて国民総出で炎上させて、都会と田舎と不平等になるからダメ、だなんて
横並び重視の日本そのもの。都会と田舎は、もともと環境が平等なはずがない。そんなこと、最初からわかってることなのに
なにを今さら、とも思う。
まずは遅れすぎてる日本の英語教育(6年も学んでこんなに話せない国民は世界でも珍しい)をどうにかするための打開策として
やれることからやっていけばいいのに
ちょっと不安が見えるとすぐ危ない危ないって石橋を叩きすぎるくらい叩いて結局渡らない。
これじゃいつまでたっても、日本人は英語が話せないよ、と思った。
ハーワーユー?アイムファインサンキュー、ハワユー?なんて定型文があいかわらず教科書の冒頭にのって
授業のやり方もやらせ方も変わらないんじゃ
この先何十年経っても、日本人の英語はダメだな。
体験からわかったこととして
英語習得には、英語の国に放り込まれるのが一番早い。
それが無理なら、学校にいるあいだ、全員英語しか話さない時間とか状況を作る。
そういう意味で希望が持てる学校が富山にあって良かったな。
片山学園、がんばれ〜。
自分も、なんとなく年とともに積み重なりつつある日本人独特な横並び意識を
はずしていけたら。
人生は一度きり。思ったようにやらないと。あと何年楽しめるか先はわかんないんだし。
応援よろしくお願いします。
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