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本は資産じゃなくそのときの自分のための単なる情報

そのときたしかに読みたくて買った本。
そのときたしかに読んで楽しんだ本。
しばらくして
気が向いたらまたぱらっと読み返すときもあろうかと
本棚に並べる。

年に1回か2回、ちゃんと読み返すのもある。
もうどうでもよくなって、再び読まなくてもいっかなのもある。
で。

現在の自分にとっての今、
この本はホンマに必要なのか?
ただ昔の思い出にしがみついてるだけじゃないのか?
惜しいと思って抱えてるだけじゃないの?
というわけで
結局昨日、23冊、ブックオフへ持って行きました。

日頃、雑誌はタブレットで読むようになり、ほとんど買わなくなってるというのに
気づけばこうしてやはり文庫本だったり、ガイドブックだったりが数十冊たまってる。
定期的に
”今の自分にとって、情報がもう古くなってないか?”
”もう今の自分にとっては興味が薄くなってるエッセイや小説じゃないか?”
をチェック。
すると
何年も持ち続けていたい本がどんどん限られてきて
”これだけは自分はずっと手放したくない本なんだな” な本が自分でも把握できるようになり
最近は棚のレギュラーメンバーをだいたい30冊くらいにおさめられるようになりました。
考えようによっては
残り続けてるレギュラーはすごい。
時間が経っても何度見ても
自分にとって内容がずっと新しく刺激的なままってことだから。 

手放した本は
またどうしてもいつか読みたくなったら、そのときはブックオフで中古のを安く買えばいいじゃんね。
(ま、たいがい、同じものは買わないけど。興味はとっくになくなってるから。) 
そう考えると
ブックオフそのものが自分の巨大な書庫みたいに思えてきます。
うちの中はすっきりするし、どう考えてもそっちのほうが充実。


今年は洋服をサブスクリプションしたことで
手元に抱える服もぐっと減らすことができて、自分にもう似合わないものとか
今の流行りもわかり、
惰性で持ってた服は全処分できた。1年で着る服をざっと見通せる(ほど枚数が少ない)って気持ちいいもんです。
クローゼットもスカスカ。

本も時代に沿った情報のひとつと考えて
家の中にいつまでも古い本を抱えてると、自分にとっての新しい情報が入るすきまが生まれないから
こまめに手放します。
惰性で抱えてる、長年使ってない物には厄もついてるということなので
手放す=厄払い。

これまでかなりの物や本を手放してきたけど
実際その後、全然困らなかった。
必要なときにちゃんと役目を果たしてもらえていれば、もうそれで物の役割は十分なんだとわかりました。
富山金沢版のミシュランガイドやタクトなど、
のってた店が、このたった数年でもういくつか閉店してたり、
情報が変わってたりします。情報が古いガイドブックほど使えないものはない。
だからこれもブックオフへ持って行きました。

富山に来てもうすぐ丸5年。
最初の頃、散歩がてら買い物したり探検がてら食事に行ったりしてた店が
今、気づけばかなり閉店したり廃業したりして
なくなってたりします。
それに変わって、新しい店もいくつか増え
その中にもあっというまに消えた店もあれば
定着してる店もあり。
ほんの5年でいろんなことが大きく変化しています。

ぐっと見晴らしが良くなって明るくなった城址公園。

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ここになにかがあったことも
そろそろみんな、忘れてると思う。
でもそんなもの。それでいいんだと思います。
郷愁にとらわれてたらなにも始まらない。
次に進むためには
手放したり壊したり決断したり、思いきりが大事。
懐かしんで
過去の出来事や写真を振り返ることを自分もたびたびやりがちだけど 
そういうことも
そろそろやめてみようかなと思い始めています。
振り返りより、前を見続けたい。 



 

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by yukari  at 15:59
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