最後に冬
立春はすぎたけど
もうちょっとしっかり冬を味わってくださいとばかりに
どかんと降りました。
昨日、まだここまで降ってなかったお昼ごろ、
図書館から歩いて帰る途中、前方から歩いてきた60代後半くらいのご夫婦に
『富山城ってどこにありますか?』
と道をきかれ、
そこの交差点のところ左に曲がればすぐですよ
と教えましたが
雰囲気的にどうも富山駅から歩いてきたようで、
たぶん観光なんでしょう。
意外に距離があったのと、寒いのとで
けっこうぐったりした表情をされていました(^^;)
教えはしましたが、富山城って結局、ただの資料館なのと
どんより天気だと向こうに立山も見えないし、
頑張ってたどりつくわりには気分的に報われない感じがするんじゃないかと
ちょっと気の毒な気持ちになりました。
子供の頃、富山の歴史についてあまり教わってこなかった気がします。
富山城は誰の城なのかとか
できた経緯についてもはっきり聞いたことないなぁと
10年前に富山市に引っ越してから少し気になり、なにかとまちなかの立て看板だったりを見つけ次第読んできましたが
なんか富山市ってよその県のような、歴史上の人物みたいな、地域が尊敬するような
たとえば伊達政宗だの、西郷隆盛だの、
そういう地域が自慢したくなる感じの人物があまり浮かび上がってきません。
そして実は射水市で18歳まで育った自分は隣の富山市が
かつて99.8%ほどの規模で、市が爆弾で燃え尽き、再生してきた歴史も
子供の頃きかされた記憶がなかったのです。
社会科見学で地域の工場を見学したとかの経験もなかったし
今思うと、社会の時間はあまり地域のことを教えてもらえてなかった。
一般的な、受験に必要そうな、教科書上の勉強をただ詰め込んだだけ。
だから社会の授業はただつまらない時間だったような気がします。
富山市全体が割と新しい道路の作りになっているのも
高岡のような歴史的建造物があまりないのも
そういうことだったのか、と
認識できたのは
そういうわけでこの10年ほど前から。
昔富山県は加賀藩だったから
どちらかというと、金沢の下支え的な県で
よその、武将や殿がいた県とはちょっと事情もちがうのかもしれません。
佐々成政という名前はなんかきいたことあるけど
何した人かはよくわからないという感じで
実は富山城にちょっとだけからんだらしいと
わかったようなそうでもないような。
そういう感じで、子供の地元愛があんまり育たないのは
地元の歴史を子供のころにあまり学べない勉強のシステムに
あるんじゃないかと
おもったりもします。
若い人が定着したくなるような授業のカリキュラムを
県は考えてほしいですね。
応援よろしくお願いします。

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