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うちの雛人形に思う

今日は3月3日。

56年前、自分が生まれて女の子の孫ということで
祖母が当時流行りの七段飾りの雛人形を用意してくれて
それ以来、この時期は母が床間に七段飾りを飾ってくれました。

だけど昔の七段飾は、階段部分を木槌でカンカン打ってはめこむ必要があって
なかなかの重労働。
そして七段分の人形たちというのは、とにかくかさばるもので
押入れ下段を陣取ってしまうくらいの量でした。

でも、人形の顔立ちがとにかく母のお気に入りだったようで
私が遠方に暮らしているときも、私は実家に顔出しもできないというのに
『この顔、可愛いからね〜』とか言いながらひとりで飾っていたようです。

途中、兄たちが小さい頃、五人囃子か誰かの刀でチャンバラ遊びしてぐにゃぐにゃに曲げたりして
パーツもボロボロになってきていましたが。

私は結婚した30数年前の時点でもうこの人形は、自分の厄を引き受けてくれ、任務は果たしてくれた存在だと思っていたから
いつまで飾るんだろうと思っていました。

母が80代になり、私が40代後半になる頃、
さすがにもう母も、飾るのしんどいと言い、このタイミングならと
人形供養に出すことにしました。
最後に記念に写真を撮って。

いくら流行りだったとはいえ、やはり床間のような空間がないと
こんなおおがかりな雛壇はおけないわけで、
昭和という時代はずいぶんとゆったりしていて、こういう縁起担ぎの物にたいしても
思いきれるゆとりある時代だったんだなと感じます。

孫可愛さ、娘可愛さとはいえ、
もし私が娘を生んだ母親だったとしても
平成の時代には七段飾りを用意しようとは思わなかったはず。
実際、都会のアパートには床間なんてなかったし。

さらに今、女の子の孫が生まれた祖母になっていたとしても
雛壇買ってあげようとは思わない。だって、令和の住宅もそこまで広くもないから。
もらうほうが困っちゃうよねと想像もつくし。

そう、時代は変わった。

自分には息子しかいないし、東京にいる孫も男の子なので、どちらかというと、
彼女側の東京のご実家のやりたいようにおまかせしています。
富山では息子側の実家があれやこれや言うのかな(苦笑)。
男の子の孫だと、もしかしたら天神様とか買うのかな、こっちだと。
福岡県出身の夫は富山に来た当時、
太宰府天満宮が身近だったけど、菅原の道真を自宅にまで飾る天神様なんてのはなかったぞ、
それ、富山だけだね、と驚いていました。
まぁ全般的に見て、
富山はそういうことにお金をかけるんだな、床間があるような大きな戸建が多くて裕福だからかな。
自分は18才以降、富山以外で暮らす期間の方が長かったから、
富山出身とも言えないくらい富山の風習をよく知らないし、
話す言葉も、住んだあちこちの方言が混じり、もう純粋な富山弁は話せません。
なので今は自分を『エセ富山人』と認識して過ごしています(笑)。

8年前に雛壇を供養してくれるお寺に運び込んで供養してもらったので、
それ以来、実家の押入れ下段はがらんとあいています。
ほっとしました。
娘である私は、
自分の成長を願う心がこもった人形に対して、親や祖母の長年の思いに感謝はすれど
とっくに結婚もしたんだから、厄背負わせたままいつまで人形に働かせるんだ、という感覚があり(苦笑)
早く解放してあげたかった。
それに、古い物、厄がありそうなものは、いつまでも家の中にあると風通しが悪くて風水的にも良くないといいます。

今、自分の家には
北海道にいた頃、
木の端切れでボンドで貼り付けて自作した、手のひらサイズのこれをちょこんと飾っています。

夫婦ができるだけ元気に過ごせれば、という、願いの内容も変わりました。

応援よろしくお願いします。

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by yukari  at 10:59
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