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景色をみながらぶらぶら

そんなに寒くもないので
久しぶりにぶらっと。
富山大橋から立山がきれいに見えました。 

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安住橋の上から。
イチョウの黄色いのにも目が奪われたけど
ここのハンギングが毎度いろいろ変わってて
今回、葉っぱだけなのに
三色いろとりどりで、すごくかっこよかった。 

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あすは祝日と土曜日がたまたま重なっちゃってただの週末になっちゃうけど
29年前は金土日だったかで三連休になってて
そのときに結納をあげました。
当時は11月22日は” いい夫婦の日” なんてゴロをあてるブームもなく
単なる、” ちょうど都合よく、祝日がくっついた三連休” というわけで
両家の両親が上京してくれての、東京での結納でした。

22歳の自分には心の傷になったくらい過酷な状況となった、
結納〜突然父が亡くなる〜真っ暗なクリスマスからの年末年始〜年明けすぐの23歳の誕生日、にかけての暗闇の思い出が
29年も経つというのに
どうしても毎年この時期になるとリアルに蘇ります。
でも
ひとまずまだ自分たちが、いい夫婦でいられてるのは
やはりこの時期に結納あげたからなのかな。無意識の縁起かつぎになってたのでしょうか。
さらに
結婚式を挙げた神社も
当時は都会の中にありながらもけっこう地味めで真面目な雰囲気の神社が予約取れたからそこに決めたんだけど
それから20年ほど経った頃あたりから
縁結びの神様としてやたらマスコミで有名になってることに気づき、参道には恋みくじだ恋守りだが販売されるようになってて(昔はなかった)
女性たちの参拝客が行列する神社になっててびっくり。
そこも、無意識の縁起かつぎになってたのかな...無意識ほど強いもんはないのかも。

昨日、母と
「今の私くらいの年齢の冬に、いきなり夫(私の父)を亡くした、ってことだよね...」という話をしていました。 
娘の結納をあげ、家に持ち帰ってからは床の間に結納品を並べ(てたらしいが、私が帰ったときには父がすでに北枕状態だったから見れずに終わった)
半年後の結婚式にむけ
帰省する娘とすごすだろう最後の年末年始準備をあれこれ考えたりしてた両親として、幸せな気持ちでいる12月のさなかに、
そりゃきついわ...と
想像すればするほど
当時の母の心境に胸が痛む。
少し前までは、娘としてのさみしさしか実感できなかったのが
この歳になってようやく当時の母と自分を重ね合わせて考えられるようになりました。

近いところで、頼りきってた夫を突然亡くした50代前半妻の、なんにもできない無力な姿を見てしまったこともあり
もし自分が今そうなったら、母以上に状況は大変かもしれない、と想像できます。
母には同居してた社会人の長男がいたから、息子に支えられた。さぞ心強かったろうし
今もなんだかんだで心の支えでいてくれて、家でひとりぼっちじゃなかったのはほんとによかった。

だけど私は息子たちと暮らしてもいないし、
自分の生活や仕事に迷走しながら必死すぎる東京暮らしの息子たちと
今後も一緒に暮らすつもりもないので
相方がいなくなったら完全にひとりぼっちだなと思ったら(それはまぁ夫にしてもお互い様なんだけど)
母とちがって持ち家じゃない分、今のように夫に完全依存してると緊急時に暮らしがたちゆかなくなり、ひじょーにキケンなことになるので
自力で家賃を払って暮らせるくらいに、元気なうちにしっかり稼げる女になっとかないと
という結論に達しました。
早い時に父を亡くしたのは残念だったけど
そのときの経験が、親の状況や姿が、
今の私にいろいろ教訓として教えてくれてる。
ありがたいです。

しかし
昨日、母になにげに「子供の頃、部活動は入っとったが?」と聞いたら
『バドミントン入ったけど、1週間でやめたわ』と。
ええっ!?
あたしが、あまりのきつさにハンドボール部やめたいと言ったとき、母は絶対やめさせてくれなかったのに
自分はあっさり辞めとるやないけ!なんやの!
私の抗議に、ニカニカしながら、ちがう話をしてはぐらかす母。
か弱いと思ってた母は
なかなかに、ずるい女かもしれません...


 

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by yukari  at 15:49
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