ほんまにわかりやすい人間関係
手作りが上手な友達からいただいとったふかふかのアルバムは
あたしの宝物や。
でもただ写真いれてしまいこむのはもったいない気して
使えんまま、いつも机のそばに飾っとった。
アルバムやから写真の差し替えできるポケットがいっぱいついとる。
既製の住所録の使い勝手の悪さゆうたら
住所とか電話番号、メールアドレス変わったとかの連絡来たときにそこだけ修正液塗って書き直さんなん手間。
住所書く欄も狭い。
アパート名長かったり
田舎で地名がやたら長かったりしたら
そんな狭いとこに書ききれんから電話番号欄にまではみだして書く始末や。それがどーもいややった。
ほんならアルバムの1ポケットに2軒分の情報書いた紙、2枚差し込んだらどうや?
変更あったら1軒分だけきれいな紙に書き直してまた差し込めばいつもきれいな住所録眺められる。
そしたらいっつもこのアルバム使えるやん!
親戚、友達、自分たちと関わりのある人たちの情報を紙にせっせと書く作業に励む。
これを見れば今我が家とほんまにつながりのある人たちが一目瞭然、ゆうのが気持ちいい。
何年もの習慣で
今はこの中になんとなく名前があってもそのうち、
「この何年も連絡とり合いもせず、会えもせず、結局お互い義理だけのつながりやん...」思われる知り合いの紙は
すぱっと抜き取ってしまうことになるかもしれん。
こっちがそう思とるゆうことは向こうもうちをそのていどにしか思とらんはずやし、
もううちのことはとっくに遠くはるか昔のお話になっとるかもしれず
それでもまだ義理堅く何年もこっちから年賀状が届くゆうのもかえって迷惑かもしれん、ゆう気もする。
この時期、年賀状でものすごく悩む。
年賀状は普段会えん人にもご挨拶ゆう意味あいがあるんかもしれんけど
普段会えんでもときおり個人的に連絡とりあえたりして気持ちが通い合える人に、
これからも連絡とれたら嬉しいわ、今年もよろしくゆう素直な気持ちで書きたい思う。
会えんうえに連絡もとれん、お互いの気遣いが見えん相手ゆうのは、どうなんやろ。
この先もこの距離感が縮まる気せんもんなぁ。
それならまだ普段近所で癒してもろとるカフェのオーナーとか
コーヒー豆屋さんに年賀状書いた方がよっぽど道理にかなっとるゆう気する。
ほんまにお世話になっとるからスムーズに書けるはずや。
親戚のおばが
ある時からもう年賀状はいっさい書かん宣言した。
それは夫がなくなったことがきっかけやったんかもしれんし、
生活のためそんな時間も作れんほど忙しくなってしもたゆうこともあったんかもしれん。
それに年賀状もまとまった量買うたらけっこうな額や。
経済的なこともあったんかもしれん。
それに気づいたんは
うちが経済的にほんまにキビシくなってからや。
ただの義理だけでお金使えるほどの余裕なんかないんや、ほんまに心から必要や思える部分だけにお金使いたい、
これは切実な問題やから多少でもゆとりあるお宅には理解できん部分やろと思う。
けど、
”いっさい書かん”ゆうのは日本人として実はけっこう勇気いることや。
で、おばはそれをずっと貫いとるから尊敬する。ふっきれたんやろな。
あたしはまだそこまでさばけんけど
でも
自分が書きたいなぁ思う相手にだけ年賀状とか寒中見舞いとかカードとか
書くゆうとこからはじめたいゆうて本気で思う。
自分とりまく人間関係の再確認のためにも
住所録づくり。
(11月30日。今日あたしは思い出品の処分に励む。)