硫黄島
日本の学校での
社会教育って
あっさり表面をなぞっとるだけなんかもしれん
今日つくづくそう思た。
パッチワークで一緒に習っとる生徒さんたちは先生を含め50代60代70代。
その中のひとりの方が
先日あの硫黄島に行ってきたということだったので
話に皆くいついた。
羽田からどれくらいかかるもんなのか
自衛隊と一緒にどのように移動するのか
かつてのすさまじい状況がまだ景色に残っているのか
その方はまだ物心つく前に
父親が硫黄島で戦死ということで
一度でいいから父親の最後となった場所を見届けたいと思っとったそうで
今回抽選で初めて参加を認められたということやった。
「硫黄島で戦死という、なにか記録みたいもんがあるわけですか?」と聞いてみたら
「硫黄島あたりの南の島、という感じの報告だけ、母が受けてたみたい」と。
あたしの祖父は昔海軍で
まだ若い頃に戦死したらしいけど
もし「南のほうの海で」とかいうあいまいな情報しかなかったとしたら
ひょっとしたら硫黄島で。。。という可能性もあるがかもしれん。。。
テストのための社会の勉強しかしてきとらんあたしにとって
硫黄島でのすさまじさを耳にしたのは
実は今日が初めてやった。
戦争はもう2度とあってほしくないという気持ちはたしかにあるけど
実際、どれくらいひどいもんかの現実をストレートに耳にする機会は
意外と少なかったように思う。
現地に行って捕虜かなんかで奇跡的に助かって日本に帰った人は
あまりの悲劇に口にもしたくないらしく
語られないから今の人は知らない。まさにあたしはその”今の人”なんやと思う。
当時の記録をおじいさんがつけてたということで
それをネットで公開されとる孫にあたる方がおった。
今夜すみずみ読んでみた。
誰も喜んで死にたい思うヤツはおらんのに
そう口にだせるはずもなかった。。。
かたっぱしから仲間が殺されて
かたっぱしから爆弾で体がふっとび
死体がごろごろし
生き延びた何人かで必死に逃げまどい
地熱で気温が40度以上になる中を
穴をほりどうにかここを抜けて。。。というところで見つかってまた数人殺されて。。。
4日間水も食料も無く
最後には自分までも胸を撃たれ。。。
結果的におじいさんは
出血したまま連れてかれ捕虜となって最後には奇跡的に日本に帰国したとのことやった。
が
帰ってみれば自分の葬式が終了し
妻が「夫のあとを追う!」と病気のまま先に亡くなっており。。。
「あの時代じゃなくてよかった。もし息子に赤紙なんか来たらゼッタイ戦争になんか行かせない!どうにかしてでも逃げろって言うわ、きっと」
皆さんうなづいとった。
時代は残酷や。
あと数年ちがっとったら硫黄島に行かんで済んだ人もいっぱいおったやろうに。。。
硫黄島はいまも水道がなく
雨水が水源だそうだ。。。