日常から離れたおかげで
3日間、日常から離れたおかげで
また気持ちよく日常にむかえる朝。
「自分のため」は、こうして「家族のため」につながってく。
今朝は、先日寺町の喫茶店で食べたフレンチトーストを再現してみた。
厚切りの食パンの耳を切り落として2等分にカット。それを卵液にひたしてバターで焼く。
甘みはメープルシロップだけ。店で食べたように、ナイフとフォークをそえた。
男たちはとても喜んで食べてくれた。
今度、忘れないうちにあったかい卵サンドも作ってみなくちゃなぁ。
旅に出てひとりになって
自分のこれまでの思い込みや価値観でずっと家族にあれこれ言ってた自分に気づかされた。
昔は昔、今は今。
家族の今にふさわしい状況は、今現在の世の中で過ごしてく中で生まれた価値観で動く状況。
昔自分が「いい」と感じた物事が今も「いい」わけではなく、
今の人が「いい」と判断することが今現在生きてる人たちにとってはほんとに自然で「いい」ことだったりすることも多いんだ。
そんなこと、自分が子どもだったときも同じように当時の子どもの立場で強く感じてたのに、
いつのまにか大人の立場で昭和につちかった固い頭で
大人の価値観を平成の今の子どもに押しつけようとしてたなぁ、あたし。
もっと自由に、本人の感覚で本人の選択で自分の道を決めないと彼は人生楽しくやってけないだろう、きっと。
今ならまだ間にあうかもしれない、と思って、最終話し合いというか最終確認のつもりで
昨夜長男と話し合った。
ほんとにそれでいいのか?と。
その先につづく自分の将来を具体的に夢見てその道やその学部を選ぼうとしてるのか?と。
実はお母さんは今ほんとに強い意志であんたがそっちの道を選んで進みたいようにはどうしても見えないんだ、と。
昔からあんたにすりこむようにあたしが自分の価値観から言ってた言葉を元に、
なんとなくそっちの道を選ぼうとしてるんじゃないか?と。
本人も忙しさにまぎれて
自分がほんとに目指したい方向がまだはっきりしないまま、とりあえず決めなきゃいけない時期が来たから
じゃあ、という感じでひとまず決めた、そんな自分だったことに気づいたようだ。
そしてこれまでに、実は惹かれた人というかああいう風になりたい、ああいう仕事ができたらいいなと
ちょっと夢見たものがあったという。
だけどそれはほんとに夢だろう、現実的には難しいだろうと自分の中であきらめをつけようとしたらしい。
で、それはなんなの?
聞いてびっくり。でもあたしはそっちのほうが息子の子どもの頃からの様子や、今の興味にぴったりだなと思った。
たしかに狭き門かもしれないけど、将来の息子の様子も不思議と想像が浮かぶしなにより選択にも無理がない自然な感じがした。
それ、いいじゃん!
そしたら息子が『いいの?ほんとにいいの?』って。
そんなのダメだよ、って親が言うに決まってるって思ってたのかもなぁ。
そう思わせたのはあたしの責任かもしれない...。
「自分のほんとに好きなことだとなんでも頑張りがきくんだし、勉強だって仕事だって、好きなことはすんなり自分に入ってくるもんなんだから、迷うくらいなら好きな方選んだほうがいいって。」
そう言ったらあっというまに、実は気になってた大学の受験科目をネットで調べ始めた。
そしたら、いままで受ける予定にしてた大学の受験科目とは大きくちがってくることがわかった。
激しく動揺。
これから約7ヶ月間でその科目を一から独学でやれるもんだろうか?それも授業で選択してこなかった教科という。
どうする?やっぱやめといてこれまでどおりの方向ですすむことにする?
だけど息子は
途中でこうして道を変えることで受験科目も変わる大変さと、道を変えずこれまでどおりの勉強を7ヶ月続けて備えていくのと
どっち選んだら将来後悔するか?どっち選んだら自分が納得か?とちょっと考えてみて、
受験科目変える方向でいきたい、と言った。
まずは今日、日頃話しやすい先生つかまえて、その科目を今からとりかえす方法を相談してみる、と。
よしっ、がんばれっ!
とたんに生き生きしてきた息子。よかった、今までぼやけてた自分の道、やっと見えたんだな。