自分のしめくくりについて
いろんな価値観があるよね〜と思った朝。
今朝の”あさイチ”は葬式について。
葬儀屋のこれまでの形式どおりの高額な葬式じゃなく、
親しかった人だけに連絡して基本は家族で静かに見送りたい、
後日落ち着いてからお別れ会(悩ませたくないから定額の会費制)を開いて
おつきあいのあった方々に思い出を語りがてら気楽に来てもらうという家族葬は、まさにあたしの理想。
横にいた夫に「あたしの時もこういうのがいい」と言っといたけど、
あたしとちがって、親や親戚をバタバタの中で間近で見送った経験がない夫にはどうもぴんとこないようだ。
それに、できればそんなことは今考えたくないんだろう。
それはわかるが、実際体験したあたしはやっぱり
悲しみの中でも慌てたりトラブったり、そういう精神的負担を遺族に一切かけたくないという思いが強い。
このままではそのときになって夫が慌てふためいて、
結局葬儀屋の言われるがまま、高額な葬式になってしまう可能性が高い。
写真も自分が気にいってないようなのを選ばれて引き伸ばされたりしたらたまんない。
逆に、夫のことが突然起こった場合も、なにも決めてくれてないと、あたしもこの、親戚がだれもいない北海道で、
どうしようもなくなって、やっぱり葬儀屋の言われるがままやるしかなくなる可能性が出てくる。
墓もどーすんの?だし。このままだとなんの愛着もない、夫の先祖代々の土地の墓に直行だ。
ふたり揃って、それはいやだと心底思ってるわけだし。
身近な家族を突然失う経験をすると、死というものがずーっと先のことという保証や安心感なんてなく、
いつあってもおかしくないという覚悟がいっつも気持ちの中にある。
うちの祖母はまだ自分が生きてるうちに家の近くに自分の墓を買った。
自分の旦那(祖父)は戦争で亡くなったから骨がなかった。遺影だけだ。
だから自分が生まれ育った土地じゃなかった、途中からの疎開先でそのまま定住することになった富山では、
いつかくる自分の終わりのために、自分の墓を自分で用意しとくしかなかった。
そして自分が亡くなった時には、神戸生まれ富山育ちの息子である私の父親はなにも悩むことなく
そこに当然のように祖母をおさめてあげることができた。これは大きな遺族孝行だったと思う。
そして、父が突然亡くなった時、母や兄たちや私も、何も悩むことなく、祖母が眠る墓に父を収めてあげることができた。
母子一緒にしてあげられてるから安心だ。
母は、せまい墓には入りたくないとあたしに言った。石原裕次郎みたいにぱぁ〜っと広い海にまいてくれと。
その希望は叶えてあげたいが、ただ口約束や思いつきだけではいざという時遺族間でトラブってしまう。
それが本気なら、書くなり全員に伝えといてくれるなりしてくれないと、せまい墓におさめるしかなくなってしまう。
母はずっと元気でいてほしいが、そこんとこだけは頼むよと心配のひとつでもある。
あたしの立場はかつての祖母とおんなじだ。
生まれ育った土地じゃないとこに定住を決めた。北海道に親戚は誰もいない。
となれば、生きてるうちにいざという時のことを決めとかないと。
そういうことを切実に考えた朝。
そういうこと書き留めとくノートが今、本屋でもたくさん並んでる。
自分の希望どおりに見送ってほしいと願う人が多くなってるということだ。
今度買ってこよう、ふたり分。
15年前に葬儀屋の懸賞で「私の理想の葬儀」というテーマで作文を投稿して賞をもらったんだった。
コーヒー好きの父を思いだしながら書いた『コーヒー葬』だった。
線香のさみしいにおいじゃなくてコーヒーの香りがいい、と書いた。
自分のときも、うん、あれがやっぱりいいな。