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床をながめながら

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昨日、個展最終日は
ときどきギャラリーの床をながめながらいろんなことを考えてた。
カフェ店内の、奥まってわかりづらいこの空間で毎回個展をしてしまう理由。
ひとりでも多くの人に見てもらいたいなら
もっとオープンな場所で、ときおり通りすがりの人も見れるような
そういう場所でやればいいのに
どうしてここで3度も個展を開いてるんだろう、と。
シャドーボックスを知ってもらいたいとか言いながら
実はもしかしたら、知るひとぞ知る、なマニアックアートなままで、
心から、こういうの好きだな〜格好いいアートだな〜と感じてくれる人には
これをちゃんと知ってもらって静かに見入ってもらえたり喜んでもらえたりして
非日常な美術館感覚に浸ってもらえたら
私はそれでよかったのかもしれない、と。

アートは興味ある人は常にアンテナを張っていて、
たとえそれが遠方でも気になれば行って観たいと思うものだし実際行ったりもする。
でもアートに興味がそれほどなければ近くてもわざわざ観に行ったりなんてしない。優先順位がそもそもちがうから。
たまたま通り道でなにか催事をやってたから通りがかりにちらっと観た、そのていどで終わるだろう。
たぶんあたしは
作品作りに時間をかけてる分、 
通りがかりになにげにさらっと見られたくないのかもしれない。
ちゃんと観に行こうと興味をもって来て欲しかったんだ。
だからこそ、ちゃんとここまで足をのばして来てくれた人には心から感激した。

アートに興味があって、というより
シャドーボックスってなに?という疑問からとか、
知り合いがなにかやってるから観に行ってみようかなということで来てくれた人、
空き時間があるから行ってみようかな、な人もいたとは思うけど
わざわざ足をのばして入り込んでこないとわからないようなこの空間まで時間を作って来てくれたことについて
その人たちの思いやりや、表面的じゃない体裁だけじゃない本当のやさしさが見れた気がした。
汗かきながら自転車で来てくれた方たちは初対面だったし
バラをさしだしてくれた女性も初対面だったけど
「シャドーボックスを観に行ってみようかな」な思いは共通で
そこ1点のためだけに足をのばしてくれたということが、いかにちゃんと作品を観ようと思って来てくれたかがわかって
嬉しかった。
カフェに来たお客さんも、壁1枚はさんだすぐそこでなにかやってる気配は感じてるだろうけど
興味がある人しかこっちまで足はふみいれてこない。
それはびっくりするくらいだった。
ずいぶん前からカフェに置かせてもらってたチラシも
前回の個展のときとはちがって思ったほどは減ってなかったことがびっくりと同時に
アートに対する好奇心が最近ここに来てるお客さんはあんまりないのかなと少し悲しかった。
なんだろう、これ、とも、1枚もってこか、とも思わなかったのかなと。しょうがないけどね...

知り合いがお花を手に家族やおばあちゃん連れで観に来てくれて
おばあちゃんは何度も何度も「はぁ〜!一生かかってもこんな素晴らしいもん作れないよ〜。すごいね〜、全部ひとりで作ったの〜?うわぁ〜」とひとしきり喜んで
「いいもの見せてもらった〜ありがとうね〜」と握手してきて
名刺もくださいと言うから渡すと「ありがとうありがとう」とまた握手して喜んでくれた。嬉しかったな。
以前の生徒さんが今はお孫さんの病気の世話でここ数年お会いできなかったのが
久しぶりにここまでご夫婦で会いに来てくれて 涙ぐまれた時には
あぁこういう場を今このタイミングで企画したことはちょうど良かったんだとも思えた。 

他にも
数回お会いして知り合いの位置づけだった方々がご夫婦で何組かいらしてくれてゆっくり話しができたことで
だいぶ距離が縮まった気がして嬉しかった。
そういう意味でも
こういう企画をしてみると
実は自分のまわりの人の物事の優先度合いというか、思いやり度合いというか価値基準というか、
なんかそういう感じのものがはっきりわかる、
そういうのも事実だったりする。
そしてこれが
北海道ではなく、もし本州でやってたとしたら
誰がギャラリーまで足をのばしてくれるんだろう...どんな現実が見えるんだろう...
そういうことを考えたりもしてた。

3回目の個展が終わって
雨の休日の今日は1日、なにをしようもなく家で過ごしてた。
関東の友人からの花や
ギャラリーで受け取った花たちをながめながら。 









 

by yukari  at 16:52
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