閉塞感から気持ちだけでも
つい自分のいる場所がすべてと思ってしまいがち。
1歩外を見ればまったくちがう空間や世界が広がってるのに。
せまい場所で視野もせまくなっていたことに気がついて
な〜んだ、必要以上に深刻に考えすぎてた、と気がつかされることってある。
考え方を180度変えてしまって、それまでの自分を捨ててしまう、なかったことにする、
いや、過去はあったんだけどもうこれからは過去の自分とこれからの自分は切り離して考えて外へ行く、 生まれ変わることにする、
そうすることで気持ちをどうにか健全に保とうと、
それは実際、現実逃避かもしれなくても、
それで気持ち救われることってある。
地元を離れて知り合いのいないあちこちの場所でのスタートを何度かくりかえした自分だから言えることかもしれない。
スタート初日は当然心細さしかない。
不動産屋さんとの事務的な会話ですら、会話できることのヨロコビを感じちゃったりするくらい人恋しかったりする。
生活の不安だってのしかかる。
だけど、自分から地域に関わろうとすれば、地域の人はなんらかのかたちで助けてくれる。
思えば、これまで行った場所それぞれで、ほんとにそれぞれな関わりがあった。
濃いつきあいだったなと思う場所...そこでは自分もかなり積極的に関わろうとしてた気がする。
ほどほどなつきあいかなぁと思う場所...そこでは自分がそれほど積極的に人と関わろうとしてこなかった気がする。それこそ
ほどほどな感じだった。
結論として、どんな場所でも、自分の行動次第で、今いる場所が良くも悪くもなるんだな。
こんなに空と大地は広かったんだ〜!!
何もないほうがのびのびの息子たち。
大人ももしかしたら、かえって何もないほうが変な欲も出さずに済むかもしれない。
家も家族も電気も水道もありながら、不安にかられていろいろ買い占めてしまう大人たちの話を聞くたびそう思う。
買い物嫌いな自分は日頃から買い物をあとまわしにする効果がこういう時にこそ発揮されることを実感。
サバイバルに普段から慣れとくと多少のことにも動揺せずに済む。
キャベツ半分、おから少しにんじん少しとコンソメ、こんだけ残ってればメインに充分。
塩なんて2週間前から切らしてる。だけど買いにいくの面倒だから味噌とか醤油とかでどうにかしてる。で、どうにかなってる。
日頃から、昭和40年代くらいの暮らしに満足レベルをおさえながら平成の時代も暮らしていくことが、
ストレスを抱えないコツかも。ちょっと贅沢に慣れすぎたよ、日本は。
昨夜、職場の30代の人が『乾電池とヘルメットと、それから何買っとけばいいかなぁ。ヘルメット、ジョイフルに売ってるかなぁ、いくらくらい?どうせならピンクのがいいなぁ。』と真剣に言ってて
『非常食いっぱい用意しててももし避難所で食料ない人がいたら、やっぱり分けてあげなきゃだよねぇ、それってなんだかちょっとねぇ』なんて、そこまで想像ふくらませて心配してた。非常食、誰にも分けたくないんかい...
『...ヘルメットまで買わなくていいから...』あたしは言った。
だけど『要るでしょ、やっぱ、ヘルメットは』となんの疑いもない目で彼女は言った。
そりゃ、あれば役にたつシーンはあるかもしれないけど、とっさのときはそんな場合じゃない可能性のほうが。
だけど彼女は心配でしょうがないらしい。便利な世の中になってから生まれた世代には、物が揃ってないことは不安で仕方がないようだ。
40代と30代、この10年間の意識のちがいはかなりなもんらしい。
しかし、ピンクのがいいなぁって...。