外は雪景色
茶の間では桜が咲いてる。
こないだいただいた花束を分解して、いつものように
お気に入りのAALTO VACEにおさまるようにカットしながらいけた。
あたしは昔、合唱団でALTO担当だった。
ついこないだまで働いてたのは経営母体がALTOサービスという会社だった。
フィンランドに行ってはまったデザインが、ALVAR AALTOさんのものだった。
ALTOづいてる。(単なる偶然)
アメリカを知り
フィンランドを知り
メキシコを知って
世界というものを肌で感じることで気づかされたことがいっぱいあって
これは日本だけにいたらわからなかったことだなぁと当時思ったものだ。
日本の中でも
生まれ育った地域の中だけにいたら、1歩外の世界がこうもちがうなんてこと
まったく知らずに大人になり、年をとっていったんだろうなぁ。
それはシアワセなことでもあり不幸なことでもあり、
どっちがいいとは言えないことかもしれない。
知ってよかったこともあれば
知らなくて済めばよかったこともある。
知ったことで広がった視野、価値観。
けど知りすぎたあまり、知らなかった過去にはもう戻れない、そういうしんどさもある。
昨日あたしが別支店で研修してる時、
夫のところに、石狩で知り合ったある方から「近くに来たので」ということで連絡があって一緒にランチしたそうだ。
その方は石狩を良くしたいと常々思っている人で、お年寄りが多い石狩の中でどうにかパソコンを使える人を増やして
情報発信をしていきたいと思っている、大変貴重な存在。
だけど企画をしても、前向きにとりくもうという人がほとんど集まらないことや
どこかピントはずれな店舗展開をしてしまってる人がいることや
商品開発についても『なんでそうなるの?』と思ってしまう発想をする会社があることなどに
とても頭を痛めてて、なにかいいアドバイスがないか、夫の意見を聞きたかったのと、
自分の思いを夫ならきっとわかってくれると思って、この鬱々とした気持ちを聞いてもらいたかったようだった。
札幌とちがって、よそからその街に引っ越して来る人があまりない場所、それが石狩。
うちらはある小学校めあてでぽんと神奈川から引っ越して来たわけだけど
『なんで石狩に?』と何度も聞かれた。それくらいうちらは当時珍しい存在だったようだ。
だけど実際引っ越して暮らしてた期間、雪かきは大変だったけれど、石狩暮らしはけっこう気にいってた。
海が近くて魚は新鮮、農家が多くて野菜はおいしい、広がる大地、身近に感じられる自然、ちょっといけばすぐ札幌にも出られる便利さ。
今も、子どもの中学や受験などの問題さえなければ、そう悪い場所じゃあないと思ってる。
ただ客観的に見て、商売はどこも下手だなと思う。せっかく良いものが揃ってるのに惜しいよなぁと。
問題は、『外に出て学んでこよう』という意識が市民にまったくないことだ。
ちょっと隣の札幌や、足をのばしてニセコや長沼などに行ってみれば気づくあれこれ。
外に出ようとしないから知らないし気づかない。そんな中で何か新しくやろうとしたって発想には限度ってもんがある。
いくつかご当地グルメを開発したようだが、中途半端で印象に残らず、今じゃ、それどこに売ってるの?だったりする。
さらに大問題として『そこそこ営業できればそれでいい』という感じで上昇志向がまったく感じられない。
昨日夫がその方から聞かされた石狩の、ある店の店名を聞いて耳を疑った。あたしなんて腹を抱えて笑ってしまった。
なんでそんな景気悪そうな名前つけるかねぇ〜?!
遠く離れて派手さの無い田舎(富山)を思うその感覚に近いものが石狩には少しある。つまり
うちらにはあの街にちょっと愛着というものがある。なんせ移住地だったから。だから
どうにかならんもんかねぇという気はしてる。
前向きで行動の早かった徳光さんなんて、石狩でじっと客を待つばかりなんてことなく、せっせと営業活動を円山地域でやって
その結果が今じゃ札幌の一等地に2店舗展開だもの。それが石狩本店の繁盛にもつながって、賢いやり方だったなぁと感心した。
やっぱそれくらいしないとねぇ石狩の商売人は。
おいしい水を汲みに真狩まで車をとばして行くくらい行動的な人なだけにその方の
はがゆい思いが会話の中からひしひしと伝わってきた昨日のひとときだったと夫は言ってた。
外を見にでかけたり、いいものを求めに足をのばしたりしてるからその人はいろいろ問題点にも気がついてる。
つまり『外を知ってしまった』わけだ。
自分の街もああいいふうに良くなればいいのに。ああいうふうにしたい。夢は広がるばかり。
ところがお年寄りたちだけでなく地域にこもってる若い商売人たちも
よくわからない新しいやり方に手をださない、受け入れない。なんの進歩もない。
40代の自分が今後も暮らしていく街なだけに、日々、やりきれない思いがあるんだろうなぁ。