天ぷらの煮たの
天ぷらを
濃いめのめんつゆでさっと煮たのを
ご飯にのっけたのが好き。
こっちが濃いから
他のおかずは
切り干しの戻したのときゅうりをあわせた酢の物と
トマト、ゆでほうれんそう、ゆでにんじん、薄味卵焼き
朝昼晩
家の食材で
大人の量3人分をこうして毎食
で
食費を月に4万円前後
を目標にしてる。
今月は頑張ったと思う。
天ぷらを
濃いめのめんつゆでさっと煮たのを
ご飯にのっけたのが好き。
こっちが濃いから
他のおかずは
切り干しの戻したのときゅうりをあわせた酢の物と
トマト、ゆでほうれんそう、ゆでにんじん、薄味卵焼き
朝昼晩
家の食材で
大人の量3人分をこうして毎食
で
食費を月に4万円前後
を目標にしてる。
今月は頑張ったと思う。
自分のまわりに欲しい情報や条件が満たされてると
満足できてるからもうそこからはわざわざ外にでる必要はない、と思うもんなんだなとわかった。
欲しい状況がないから
親は子のために協力して
なんとか希望の状況に子を置いてやろうと努力する。
それが別のエリアへのしんどい受験だったり進学だったり 。
地方在住の人はそういうわけで都会に出て、そして一人暮らししたりするきっかけも発生する。
子としてはこれ以上ない良い環境の学校がうちから通えるところにあれば
当然のように自宅から通学する。
中学や高校だったら未成年だしそれは普通だと思う。
だけど
それが大学だったら?
やっぱりそれは普通なのかな。
アメリカの大学は
ほとんどの大学生が寮生活に入る。
実質、高校卒業と同時に親から独立する意味合いもある気がする。
兄たちはふたりとも、大学は東京だったから当然一人暮らししたし
自分も京都の短大ということで高卒と同時に家を出てひとり暮らしした。
そんなもんだと思ってた。
だから
高卒後もずーっと自宅にいて
大学も自宅から
会社へも自宅から
それがいまひとつぴんとこないとこがある。
少し親から離れて自力で日々の暮らしをやってみたいという好奇心は
年齢相応にみんな多少なりとも持つんじゃないかって思ってた。
でも
必要充分な環境が自宅近くに満たされてあれば
出て行く理由がない、ということで
本人も出る気はないし
親も出させるつもりがない。
わざわざひとり暮らししなくても、と思う人が
都会の便利なところに実家がある人たちメインにけっこういるんだ、ということがわかった。
それってすごく恵まれてることなんだよね、きっと。
昨日ふと気が付いた。
じゃがいもの皮むいてつぶして、がコロッケ作るのが面倒くさいとこなので
さつまいもだとどうだろう、と。
さつまいもなら
ふかしたそのまんま、皮付きでも食べられるんだから
じゃがいもほど神経質に皮むかなくても、と。
で、
さつまいもをまるごとふかして
はしっこの固いとこはひとまず切り落として
ついでに少しちぎってふかしたてのおいしいのを皮ごとつまみぐいしながら
あとはざざっとつまめるとこだけ皮をつまんではがして
残ってても気にせずあとは全体をフォークでざくざくつぶした。
そしたら
前に作っておいたそぼろを混ぜるだけで
もうコロッケのタネができたじゃなーい!
さつまいもだからタネは甘めなんだけど
これならもう少しひんぱんにコロッケ作ってもいいなと思えた。
コロッケはじゃがいも、なんて決めつけなくてよかったんだもんね。
ついついそういう決まりみたいにあてはめがち。
もう少し柔軟に考えられるようにしないとね。
昨日のうちに漬けといた肉を
朝食後に揚げてつめた唐揚げ弁当。
大豆を煮るのと
ターサイを茹でとくのを昨日のうちにやっといたから
揚げ物があってもしんどくなかった。
常備菜だけは前日に用意しとけば
冷凍メインおかずがなくても大丈夫。
4年間つきあってもらった中古の軽自動車。
買った時以上にピカピカにして
今日、買い取り業者に引き取ってもらった。
お別れだ。
マイカーとも
そしてこの、月々支払いしてきた月極地下駐車場のこのスペースとも。
次の暮らしに
進まないとね。
お昼。
富山の兄からもらってた
薬膳カレーとブラックカレーのレトルトを開封。
イカスミ入りのブラックカレー
想像とちがって
無難な味というかちゃんとおいしかった。
スパイスの中身がいかにも体に良さそう。
これ、辛口もあるのかな。
あったら食べてみたいな。
5枚切り食パンにマヨチーズサラダ入りとジャム入り
メロンパン半分
チーズパン半分
そして
クラムチャウダー
すっからかんの冷蔵庫をフォローしてくれる弁当
さっきやっと
宅配の野菜が到着
今夜は野菜たっぷりにできそう。
昨夜、長男は秋田へ出発。
一晩かけて青森経由で移動し
今朝そうそうに着いたはずが
なかなか連絡こないなーと。
そしたら
駅までは順調だったんだけど
そこから大学方面に向かうバスが休日ダイヤのままで
なんと1日3本しかなくて
次が2時間後だった、と。
結局友人たちと合流してタクシーに乗り合ってたどりついたらしいが
1日3本て。
あぁそうだ、秋田だった...と地方の現実を久しぶりに思いださせてもらった。
今年初の筋トレへ。
一番乗りだった。
日中は次男とふたりで静かな茶の間。
冬休みが終わるまであと10日ほど
この毎日。
夫は出勤。
弁当作りも開始。
長男は今夜秋田へ出発。
次男はまだまだ冬休み。
で、あたしは?
昨夜もいろいろ考え
悩んで
やっぱりなー
でもなー
けど
することで想像する大変さと
しないことで想像できるだいたいの日常
どっちを選択したらいいのかどっちを選択するべきなのか
どっちを選択したら後悔する割合が大きいか
その後悔は誰にとってのものなのか
あれこれ考えた。
そして
悩んでしまう根本的な理由がなんなのか
をはっきりさせることができた。
家族を見くびり過ぎの、過剰な心配。
もともと持ってた『なんとかなる』な気持ちが
年とともに減ってきて
自分がすんごい心配性になってることを自覚した。
そして
必要以上に家族を心配することで
ここにだけどうにか自分の存在意識を持ちたかった。でも
その結果、自分に足かせをはめ
自分ではめておきながら
鬱々と過ごす日常。
去年はたしか始めはそういうつもりはなかったのに
途中から鬱々しはじめて
そのうち家族に文句も言いたくなった。
たぶんこのまま変化がなければ
今年もまた同じペースで過ごし
同じ1年のくりかえしになって
1年後は良くなる可能性よりどちらかというともう少し悪くなってる想像のほうがつく。
それならやっぱり
ちょっと動いてみる方がいいのかな。
動く事で自分だけでなく家族にも今とはちがった風がふいて変化もあらわれて
結果、それぞれに成長できたりするのかな。
ピンチはチャンスってよく聞く。
この先まだまだつづく暮らしのために
世話を焼きまくりの自分の、ただの満足感にひたることから
少し離れてみることをやっぱり考えようかなと
気持ちがだいぶ固まってきた。
毎年のように
また今年も
当日になってばたばた動き出す男たち。
それも
私ですら作りたくないような難しいケーキを作ろうと思い立ち
それをきいて私は少しいやな予感はした。そんな慣れない事してくれないほうが...だけど
まぁ、やるって言うならやれば...でもほんとにできるの?な気分で
ひとまず昨日の夜からどうにか私の気持ちも落ち着いてきてたことだし
少しおおらかに見守ろうかと思い始めてた矢先、
買い物から帰った息子たちが目の前で材料の準備をし始めたところからもうトラブル続き。
それも長男が材料準備の次男にテキトーなこと言うわ
卵黄と卵白みまちがえ、
勝手に自己判断でやり始めてまちがってるわ、
次男はそれを当然非難し
なんで先にそれやるんだよ、なにまちがってるんだよ?!
それはもっともだから見てるこっちも
長男に、まずなんで材料そろえてからやらないの?!になって...
...いらいらイライラ...
作るって言うわりには手順も把握してないわ
うちあわせもちゃんとできてないわ
目の前で手際の悪さ見せつけられるわ
ケンカするわ
あたしにまたストレスためさせるつもり?! ちゃんとやれないんだったら最初からやらないで!
泣けてくる。
なんでこう毎年毎年。
別に前もってどこかのケーキ買ってこようって決めておいて
おだやかに買いに行ってくれるだけでもかまわないのに
ケーキじゃなくても
今回はこういう風にしようと思って、でみんなで決めて確実にできることをやってくれればそれでこっちはいいのに、
要は、前もって私の誕生日を気にしててくれた、当日のことを考えててくれてた、
それが伝われば充分嬉しいだけなのに
前もって、がない、いきあたりばったりで動く男たち。なんで??
昨日なんて
実家からのイタリア土産の中の手紙に
『誕生日おめでとう。』の文字とシャンパンとネックレス。
イタリアから重いのに誕生日のことを意識して持ち帰って送ってくれた
その気持がとにかく嬉しかった。
極端なことを言えば
プレゼントなんてなくても
その手紙だけでも充分だった。だって遠くに住んでるのにこうして何年経っても
娘や妹の誕生日を気にしてくれてるんだよ?ほんとありがたいなぁと思った。
近くにいるのに毎年毎年。。。
「誕生日のお祝いということで」って家族の誕生日には料理も少し変えたり、
大きな買い物がある時は「それをじゃあ誕生日のお祝いってことにしようね」とプレゼントの意味合いを含めて買ってもらったり
そういうことを私は事前に気にしながら家族にやってきたのに
男たちは私にあれこれやってもらうのが当然になってて
毎年今日のことが頭にないってなんなの。
ばからしくて興ざめするばかり。毎年毎年。
送ってもらったかまぼこと豆腐の燻製「いぶりとっぺ」で2日目を過ごし
3日めはぜんざい食べたらもう正月料理は完全に終了、という感じに。
そして昨日は
朝から私はへこまされた。
特にここ10年は、はりつめてひとりこの北海道で正月準備も頑張ってきたけど
なんとなくこういうのも家族の中では当然に思われていたんだなとわかって。
べつにひとりでやりたくてやってきたわけじゃないし、苦もなくこなしてきたわけじゃない。
ほんとは正月くらい、親や親戚と集まったりして主婦としても非日常の中でわいわいやりたかったよね、やっぱり。
これまでのバイト含め、日頃やってきた家の中のこととか
家族の食事の準備とか、
家族の誕生日や記念日や学校、引っ越しするたびそこで発生したおつきあい、
様々なことに早めに気をまわして準備したりアドバイスしたりやきもきしたりとか
これってだいたいが家族のためのことであって
自分のことだけ優先に没頭してきたことは仕事も住む場所も含めて
ほとんどなかったから
そのストレスがたまに爆発しては、旅に出る事になったり
よけいなこと考えなくてすむ検定を受けるための勉強になったり
習い事でもすれば気もまぎれるか、と思って習い事始めたりとそういう行動につながってきたんだけど
20年前後一緒にいて苦労も知ってるはずの家族には
私の苦労もかなりわかってもらえてるだろうと思ってたのに、なんだろうな、これは。
毎年この時期は正直憂鬱。
少なくとも
前々から気にして
自分を思って多少時間を使って準備してくれてたんだろうなと思えるようなことはあんまりなく
前日、ひどい時は当日になって気づいて慌てて、とって付けたような行動があからさまに見える中、
気づかないふり、うれしがるふりをこっちもしなきゃならなかったから。
物で喜ぶ私じゃないことくらい、
こんなに長年近くで見てきてなんでわからないんだろう。
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