うちでゆっくりする、という贅沢
祝日だけど
夫はイベントのお仕事で午後から出勤。ご苦労様なことです。
というわけで
自分的には
普段の平日の過ごし方となんら変わりのない昼下がり。
ちょっと前の自分なら
ここまでフリーな時間を確保できた時にはふらっとでかけて町の中でなにか探りをいれなければとか
買い物でもした方がいいんだろうかとか
天気いいんだしうちでただ過ごすってのはいかがなものかとか
普段やりもしないようなアイロンかけくらいしたほうがいいんだろかとか
なんかわけのわからない脅迫観念で無理矢理動いて充実を図ろうとしてた。
だけど今日は朝から割り切り。
ゆっくりして体力温存することで
日頃考えることをあとまわしにしてるようなことについて
ゆっくり考えてみたり、
今月の家計簿ながめて来月のやりくりの計画たてようかと
思ってみたり。
今日から近所デパートで大北海道展。
チラシによれば
おなじみの六花亭やロイズのお菓子の写真がどどんと。
催事会場は混んでるんだろうなぁ。北海道の食べ物はおいしいからどこでも大人気。
だけど
今のあたしは
目の前そばのほんとに身近な物とか、目の前の時間とか、目の前の景色とか
いつもそこだけ見ていたい。
過去は過去として、その物の良さは充分わかったよ。
だからといってここぞとまた過去の物にしがみつきにはいかないというか戻らないというか
次はまた、今の自分が感じた、別の良い物と良い時間と良い景色を
うちの近くで発掘すればいいじゃない、と思ってるから、この催事には行かないだろうな。
日頃遠くにある物は特別追わないというか。それはいつか現地に行く機会がもしあれば現地で買えばいいかなと。
それが楽しみだったり特別だったりするんだし。
しかしずいぶんと変わったもんだな、自分も。
たぶん
引っ越すたびにこれまで過去に住んだところにしばらく未練をかかえながら過ごすことが多くて
かなり気持ちもひきずりながら何年も思い出に浸り、ということを
何度も何度もくりかえしてみて
結局過去の良いことを振り返るようなそんなことは、現在の生活には何も生み出さない、とやっとわかったんだと思う。
過去は過去として。
で
今は今。
今やろうと思い立ったことが今の自分にはきっとタイムリーなこと。だって今の自分が昔みたいに板前の仕事やりたいかというと
もうまったく興味なし。そしてさらに昔のように京都に戻りたいとかアメリカ暮らしに戻りたいとか思うかというと
それももうまったく興味なし。年相応に状況は変化するから時間の使い方も変えてくのが自然だとやっとわかってきた。
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