今度は次男
長男のほうは、子育てという意味合いではひとまず今日で終了した気がしてる。
振り込まなきゃいけない学費や寮費、そういうものの支払いの義務は親としてあと4年間あるけれど、
ま、親としての出番はもうそれだけ、と言っていいんだと思う。
なんかほっとしたなぁ。
産まれてから18年間、夢中で育ててきたけど、
家を出た今、今後はもう自分の管理は自分でやってね、なとこまできたんだもんなぁ。
うちら、いろんな試練の中、よくやったなぁ。夫とたたえあいたい。
が。
今度は次男。
一番ムズカシイ中3。高校受験もようやく少しだけ意識し始めた今からこの10ヶ月間は、
親として地獄のようなしんどさに向かっていく。
あの3年前の長男の時でさえ、心臓に悪いハラハラな出来事だらけだった。
あれがまた、というか、タイプのちがう次男は、より読めない展開が待ち受けてそうで
なんだかもう想像するのもキョーフ。
あ...やめとこう...心臓に悪いから...
今日は午後から、次男の中学で公開授業だった。
初めてだし、どんな感じなのかと10分遅れくらいで行ってみたら、うちのクラス、お母さんたちがほとんど来てなかった。
う〜ん、気まずい...仕方ないので10分ほどうしろにぽつんと立って様子を見てたけど、
次男の「うちのお母さんだけ来てる...」な恥ずかしさというか目もあわせない雰囲気に
ムスコの気持ちもわかる...と思って、途中でそそくさと退散。担任がどんな人か見れただけで十分。
玄関に向かって帰ろうとした頃に、ようやく保護者たちがぞろぞろとやってきた。
ここはみなさん、けっこう遅めに来るんですね...。
前の学校のときもそうだったけど
今回の学校でもあいかわらず、母として学校に足を踏み入れるのにエネルギーが必要。
帰り道は精神的になんとなくぐったり。
あたし、18年やってきたけど『母』という立場、そしてその集団がとてもニガテかも。
こないだ始まった”名前のないなんとか”っていうママ友地獄のドラマ見ても
あぁなんかわからないでもないなぁと思った。
子どもがらみの親同士のつきあいってどこか本音が出しづらい。
「こんにちは〜」の笑顔の裏にある、なにかの探り合いとでも言うか。
けどこんなあたしもアメリカじゃそんなことなかったのに。
子ども迎えにきたお母さんたちお父さんたちと立ち話するくらいフレンドリーだったのに。
たぶん、
すれちがう人みんなが笑顔で声かけあうアメリカの明るさ、裏表のなさ、が日本にはないのかな。
知り合いどうしは『あ〜こんにちは〜』で声かけてにこにこなのに
それ以外はまったくの蚊帳の外、な雰囲気が、なんかちょっと心さみしくさせるというか。
石狩の小さな小学校はみな知り合い状態で楽しかったけど
大人数の街なかの学校だと、自分みたいな人見知りにはどこもなかなかキビシイな。あたしはけっこう弱いから
たびたびめげる。
札幌に住んで4年経ったけどあいかわらず近隣に知り合い増えず。コミュニティに入っていかない自分が悪いんだけど。
ま、結局面倒くさい。いろんな探りあいが。
高校入ったら、同じ高校のお母さんがたとはあたりさわりなくつきあえるだろう。
長男のときみたいに。
そして高校に入ってくれさえすれば、もうあとは勉強しようが大学めざそうが、別の進路めざそうが、
もうあとは本人の意志。
あと1年の義務教育期間か。親としても辛抱の1年。