少しはやいけど
来月で結婚20周年ということで
昨夜2人でお祝いした。
丸20年も一緒に暮らしてんだ。別れもしないで。
奇跡といってもいいかもしれない。
夫もあたしも
地元や実家にいた期間よりも長いつきあいになった。
家と学校を往復するだけだった子ども時代の記憶のうすい思い出なんかより
慣れない土地での暮らしや仕事や子育てや、
たびたびの引っ越しにマイホーム建てたり売ったりそしてまた買ったりと
手探りながらも頼れるのはお互いの存在だけしかなかった中の濃い協力体制の積み重ねは
血縁以上に強い結びつきが生まれてる気がしてる。
そう、実際血縁というのはあってないようなものというか、
遠くの親戚より近くの他人、昔の人はうまいこと言ったな。
被災地を見てても、遠くの親戚を頼ってしばらくお世話になってたけど、
気まずくなってきて結局避難所に戻ったという家族がいた。
他人同士のほうがお互いやさしく支え合えるってことある。
あたしにとって
富山で自分たちのことを気にかけてくれてる親や兄たち、
どこに住んでも連絡とりあえる友人たち、
食べて育ったおいしい魚たち、しみついてて自然に口をついて出る富山弁、
地元に対する思いはそれだけ、と思う。最近やっと五箇山の位置を知ったくらい、土地勘もない。
夫はといえば、『九州を出たい』という理由で横浜の大学を選んだだけあって、
心の支えや安らぎは九州にはほとんどないらしい。九州弁を話せない、と言う。
九州のおいしいお店も知らない、と言う。
九州のにおいがまったくしない夫。
いろんな家庭があるんだなということを知ったのは、夫と知り合ってからだった。
それまで、一般家庭はどこも富山の自分の実家みたいな和やかな感じなんだろと思ってた。
だって、富山の友人たちの家もみなだいたい似たような雰囲気だったし。
だけど
富山以外の土地に住んでみて
いかに富山という土地柄が平穏だったか
うちの親が、いかにやさしく愛にあふれて、あったかい家庭を築いてくれてたかを思い知らされた。
まずは18歳で京都に住み始めて『同和問題』という聞き慣れない言葉を知った。
同じ日本人どうしなのに
差別されてる土地や人たちがいるんだと。それは富山ではほとんどなかった現実だった。
そして驚いたことに、関西から西方面ではみんながその現実と地域を知ってて、
九州でも「あの地域の子とはつきあうな」とか言われて子どもは育つらしく、
まだそういう偏見がない、単純にクラスの友達として関わってる純粋な子どもとしては、
そういう大人の目線に”いやだな”という思いがあったようだ。
富山や北海道ではあまりそういうのを聞かないから、
これはほんとに、西方面独特のものなのかもという気がしてる。
あたしはその現実にそうとうなショックを受けたと同時に、
どこか人を値踏みする気質があるんじゃないかという怖さも感じた。
不思議な縁で夫と知り合い結婚することになったけど
向こうの親も親戚も、本人の意志はさておいて、ほんとは夫は九州女と結婚させたかったようだと聞かされた。
そんなにいやなのか、九州の人にとって九州以外の人間が混じることが。
あたしが外国人なら多少の騒ぎになっても仕方ないかなと思うけど、同じ日本人だよ。
うちの親は、娘が選んだ人なら、ということで100%あたしを信じて喜んでくれたけど
向こうはそうではなかったらしい。我が家はばっちり興信所に身辺調査され、それは当然の権利とばかりに
結婚して1年後あたりにその事実を知らされた。
家族や親戚を調べられたんだ...驚きすぎて言葉もなかった。
父がもし生きていて、その事実を知ったら...その後の展開が怖すぎる。
娘に支えてくれる人があらわれた、結婚の日取りも無事決まった、結納も見届けた、で、
安心して逝った、
そこで終わっておいて
もしかしたらよかったのかもしれない...とすら思う。
ほんとは富山の家の祖父母も九州出身だと聞かされてる。
それが神戸に移動、そこで父が生まれ育ち、
その後富山に移動し富山で落ち着いたという流れがある。
もしかして、サバサバ系で男みたい気性だったと語り継がれてる祖母は、閉鎖的環境に嫌気がさし、
愛する夫と神戸にとっとと移動したのかもしれない。
夫がなくなったあと、息子を連れて九州に帰ったってよかったろうに、
富山に移動してそのまま落ち着いちゃったというあたりも、
なんだかまったく九州に未練無し!といった感じで爽快だ。
結局自分の結婚前の詳細をくわしく誰かに語ることもなく、
元気なうちにしっかり親子3人暮らすための家を土地付きで確保
さらには自分の墓を準備万端自分で近所に用意。
生まれて間もないあたしをとりあえず抱っこもして、
息子や孫にやれることはひととおりやった上で
その数ヶ月後に亡くなった祖母。
祖母の潔いその行動は孫の代にあたるあたしに、
ひとところにこだわるな、と言ってくれてるように思えた。
大事なことは、なにごとに対しても柔軟性だと。
そんなわけで
子や孫の代に迷惑がかからないように
最低限のものと最低限のつながりだけぽんと置いてってくれた祖父母のおかげで
孫の代のうちら兄妹も、特にもめることもなく暮らせてる。
よけいなもの、よけいな問題を残さないでおいてくれたことが
一番の、子や孫孝行だった、さすがだな、と思ってる。
自分たちも息子たちがなんの気がかりもなく、将来世界中を飛び回れるように、
極力なにも、墓すら残さないようにしなければと思ってる。
一方、
あたしとは全く対照的立場の夫。
北海道にいながらにして遠い九州のさまざまな、先祖代々の問題に
頭の痛い日々だ。孫をここまで苦しめる展開になることは
祖父母は思いもしなかったことなんだろうが
それにしてもあれこれ問題残しすぎ。
それも、親の代で解決し終わってくれればいいものを、
親は子である夫に、大きな問題も含めて全部任せようとしているようだ。
なんだそりゃ〜と思う。北海道にいるんだからそれはムリでしょと思うが、
そこが九州人のコワいところ、いずれ九州に息子が戻ることをまだ期待してるようだ。
このままいくとヘタしたら
それがうちの息子の代にまでのしかかるかもしれないくらいの大問題。
九州に住んだこともない息子たちまで九州にしばられて、
最悪海外に出ていけなくなってしまいかねない。
それだけは避けなければと、阻止しなければと
思いながらも
どうしたらいいものか頭を抱えるばかり。
どうして外で子が父親として頑張ってる暮らしを、あたたかく見守ってくれないんだろう。
あいかわらず自分たちの満足に、九州の中に、子を押し込めようとするんだろう。
ここまでくるともうあたしの理解の範疇を超えすぎて
夫のストレスがこれ以上にならないことを祈るしかできない。
21周年の結婚記念日は
こういう悩みにひと段落ついて、ほっとした気持ちで迎えられるといいんだけど。